「幽々子さま〜」
「どうしたの?そんなに息せき切って」
「あ、幽々子様。こちらにおいででしたか」
白玉楼の長い廊下の中央でまったりとお茶を飲んでいる幽々子の元へ息を弾ませながら歩み寄る影が一つ。
彼女の名前は魂魄妖夢。ここ白玉楼で幽々子の世話をしながら庭師をしている者だ。
「幽々子様、バレンタインってご存じですか?」
「なあにそれ。新しい食べ物かしら?」
「いやいやいや。なんでも食べ物に結び付けるのやめてくださいよ。それに今日のおやつは今召し上がってるじゃないですか」
ガクッと肩を落としつつも進言してくる妖夢に
「ほれは」
「ちゃんと飲み込んでから話してください」
「これはご飯でいうとこの前菜みたいなものよ」
とにこやかに告げる。
妖夢はまるで口から魂でも出てきそうなくらい深いため息をつくと
「おやつに前菜もなにもありませんから」
そう呟いた。
「いいですかお嬢様。お嬢さまはいつも食べ過ぎなん…」
まるで小さい子を叱りつける母親のような口調で話す従者をなんとはなしに見つめ妖夢はよく話すわねなんて心の中で思ってみる。
これじゃどっちが上なのかわかったものではない。
「わかりましたか?」
数分経ってこれまたいつも通りの締めくくりで終わるお説教。そろそろ新しい終わり方をしてもいいと思うのだけど。
妖夢が自分に仕えてからというもの、内容は変わることもあるが、これだけは全く変わり映えしなかった。
「ところで妖夢、なにか私に用事?」
「あ、忘れるところでした。幽々子様、人間達の間ではバレンタインなる行事があるそうですよ」
「それはどんなことをするのかしら?」
「あくまで天狗の書いた新聞に載ってるだけですから鵜呑みにしないでくださいよ?えっとこの記事によりますと…」
ずっと手に持っていたと思しき折りたたまれた紙切れを開くと、記事に書かれているであろう事柄を懸命に朗読してくれる。
暖かな日差しと妖夢の声が眠気を誘い、ついうとうととしてしまうのも仕方ないことだろう。
ところどころガクッと睡魔に負けながら聞いていると、唐突に話が終わった。
「幽々子様、聞いてらっしゃいましたか?」
半眼で訪ねてくる妖夢にもちろんよと呑気に返す。
食べかけのお団子を持ったまま船を漕いでいたとはさすがに言えなかった。
なぜなら、またお説教が始まるのが目に見えているからだ。
「つまり、チョコという食べ物がもらえるってことね」
「…そこしか聞いてなかったんですか」
「それだけ聞ければ十分だと思うけれど」
にこりと笑いながら答える主人にもはや言葉もない。
「それで、どこにいったらもらえるのかしら?人間の里?」
「まさか幽々子様。行こうなんていうんじゃ」
「もちろんよ」
至極当たり前のことを聞かれたとばかりに肩をすくめる幽々子に、また溜息がもれる。
「行かなくていいです。それに食べ物なら今手に持ってるそれを召しあがっていればいいじゃないですか」
「だってそんな珍しいもの、ここでは手に入らないもの。それとも妖夢が作ってくれるのかしら?」
「私が…ですか?」
「そう。そのバレンタインとかいう食べ物を妖夢が作ってくれるのなら出かけたりしないわ」
「わかりました。わかりましたからここでおとなしく待っててくださいね」
「えぇ。もちろんよ」
かくして妖夢のお菓子作りが始まった。
去っていく妖夢の
「本当は好きな人にチョコを渡し、告白するってものなんですけどね」
というつぶやきが幽々子に聞こえたかどうかはさだかではない。
「今日も平和ねー」
お茶をすすりながら見たことのない食べ物に思いをはせる幽々子。

その日の白玉楼にはお菓子作りに悪戦苦闘する妖夢の声が夜遅くまで聞こえていたという。



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